G黷ェ句

February 1722007

 野火ふえて沼の暦日俄かなる

                           石井とし夫

べりの春の到来を端的に教えてくれるのが野火のけむりである、と句集末尾の「印旛沼雑記」にある。「総じて野焼き、野火と言っているが小野火、大野火、夕野火、夜野火等々野火にも畦火にもその時々に違った趣がある」とも。印旛沼(いんばぬま)は千葉県北西部に位置し、その大きさは琵琶湖の約六十分の一、内海がふさがって沼となって千年という。作者はこの印旛沼と利根川に挟まれた町で生まれ育ち、その句は、句作を始めた二十代から八十三歳になられる現在まで、ずっと四季折々の沼の表情と共にある。野焼きは、早春に野の枯れ草などを焼くことで、野火はその火。木枯しに洗われて青く張りつめていた空が少し白く濁り、風もゆるんでくる頃、遠くに野焼きのけむりが立ち始める。枯れた田や畦を焼き、沼周辺の枯蘆を焼き、農耕や漁に備えるそのけむりが増えてくることに、作者は春の胎動を感じている。中七下五の省略のきいた表現が、春に始まる沼の暮らしが俄かに動き出す、と言った意味ばかりでなく、冬の間は水鳥を浮かべ眠っている、沼の静けさをも感じさせる。〈沼の雑魚良夜に育ちをるならむ〉〈鳰沈みひとりひろがりゐる水輪〉〈梅一枝抱かせて妻の棺を閉づ〉そこにはいつも、穏やかで愛情深い確かな眼差しがある。『石井とし夫句集』(1996)所収。(今井肖子)


December 05122014

 潜る鳰浮く鳰数は合ってますか

                           池田澄子

(ニオ、ニオドリ、カイツブリ)は湖沼や公園の池などに棲み、例えば琵琶湖は鳰の湖などと称され親しまれている。しかしめったに地上には上がらず、水に潜っては魚や小エビ、昆虫などを捕食している。目まぐるしく浮き沈みする様を眺めていると、その沈んだ数と浮いた数が合っていないかもしれないなどと心配になってくる。「合ってます」とはとても確信が持てない。何しろ顔付もみなそっくりなのだ。潜った鳰が次にすぐ浮いて来るとは限らないし、長く潜っているものや直に浮いて来るものなど様々である。また浮いて来る場所にも意外性があって想定外の場所に出てくる。でも数だけは合っているはずだがなあ。『空の庭』(2005)所収。(藤嶋 務)


January 0612015

 抱かれたし白ふくろふの子となりて

                           森尻禮子

クロウは、鳥のなかでも、顔が大きく扁平で、目鼻立ちが人間に近い。ヨーロッパでは古くから「森の賢者」とされ、知恵の象徴としてきたが、日本では不吉なものだった。しかし、最近では「不苦労」「福来路」「福老」などと読み替えて、縁起を上乗せし、ウサギやカエルについで、小物などの収集家の多い生きものとなっている。シロフクロウといえば、「ハリー・ポッター」でハリーのペットとして登場し、その大きく、美しく、賢い姿に一時ペットとしての人気も急上昇し、「ふくろうカフェ」なる場所も今や話題だ。それしにしてもフクロウの子どもときたら、手のひらサイズで全身ふわふわ、うるうるの瞳をうっとり閉じる様子などとても猛禽類とは思えない可愛さである。ふくろうカフェの紹介には「鳥というより猫に近い」とあり、猫好きが心惹かれる道理と納得した。〈鷹狩の電光石火とはこれぞ〉〈鳰の巣に今朝二つめの卵かな〉『遺産』(2014)所収。名前の表記はネヘンに豊。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます