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January 1712007

 凍つる夜の独酌にして豆腐汁

                           徳川夢声

語は「凍(い)つる」。現在は1月7日までが通常「松の内」と呼ばれるけれど、古くは15日までが「松の内」だった。江戸時代には「いい加減に正月気分を捨ててしまえ」という幕府の命令も出たらしい。大きなお世話だ。掲出句の情景としては、妻が作ってくれたアツアツの豆腐汁に目を細めながら、気の向くままに独酌を楽しんでいる姿と受けとめたい。妻はまだ台所仕事が片づかないで、洗い物などしているのかもしれない。外は凍るような夜であっても、ひとり酌む酒ゆえに肴はあれもこれもではなく、素朴な豆腐汁さえあればよろしい。寒い夜の小さな幸せ。男が凍てつく夜に帰ってきて、用事で出かけた妻が作っておいた豆腐汁をそそくさと温めて、ひとり酌む・・・・と解釈するむきもあろうが、それではあまりにも寒々しすぎるし、上・中・下、それぞれがせつない響きに感じられてしまう。ここは豆腐汁でそっと楽しませてあげたい、というのが呑んべえの偽らざる心情。豆腐のおみおつけだから、たとえば湯豆腐などよりも手軽で素っ気ない。そこにこの俳句のしみじみとした味わいがある。この場合「・・・にして」はさりげなく巧みである。現在、徳川夢声(むせい)を知っているのは50〜60代以降の人くらいだろう。活動弁士から転進して、漫談、朗読、著述などで活躍したマルチ人間。その「語り芸」は天下一品だった。ラジオでの語り「宮本武蔵」の名調子は今なお耳から離れない。渋沢秀雄、堀内敬三らとともに「いとう句会」のメンバーだった。「夢諦軒」という俳号をもち、二冊の句集を残した。「人工の星飛ぶ空の初日かな」という正月の句もある。『文人俳句歳時記』(1969・生活文化社)所収。(八木忠栄)


January 0112013

 火を焚けば太古のこころ初日待つ

                           波多江たみ江

っと昔、毎日という日々は、現在のように穏やかに流れていくものではなかった。狩猟し、あるいは逃げまどい、命のつながった時間を積み重ねて歳月となった。火を手に入れ、家族を抱え、飢えとたたかい生きていく。太古とは非情な時代である。そんな生への執念は、現在蔓延している無情感と正反対に位置するものだ。今日生きのびることが全て。あらゆる野生動物と同じように、人間も命がけで生きていた。一年が終わり、一年を始めることができる幸せを、あらためて感じる元日である。『内角の和』(2004)所収。(土肥あき子)




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