井の頭公園の路上パフォーマンスが事前登録制に。大道芸くらい自由にやらせてやれよ。(哲




20070115句(前日までの二句を含む)

January 1512007

 女正月帰路をいそぎていそがずに

                           柴田白葉女

語は「女正月(おんなしょうがつ・めしょうがつ)」。一月十五日を言うが、まだこんな風習の残っている地方があるだろうか。昔は一日からの正月を大正月と呼び、男の正月とするのに対して、十五日を中心とする小正月を女の正月と呼んでいた。正月も忙しい女たちが、この日ばかりは家事から解放され、年始回りをしたり芝居見物に出かけたり、なかには女だけで酒盛りをする地方もあったようだ。子供のころ暮した田舎では、小正月を祝う風習はあったとおぼろげに記憶しているが、女正月のほうはよく覚えていない。母にまつわる記憶をたどってみても、松の内が過ぎてから出かけることはなかったような……。我が家に限らず、昔の主婦はめったに外出しないものだった。出かけるとすれば保護者会か診療所くらいのもので、遊びに出るなどは夢のまた夢。田舎時代の母は、おそらく映画などは一度も見たことがなかったはずだ。どこかから借りてきた映画雑誌を読んでいた母の姿を、いま思い出すと、切なく哀しくなってくる。そんな生活のなかで、作者の住む地方には女正月があり、大いに羽をのばした後の「帰路」の句だ。いざ家路につくとなると、日頃の習慣から足早になってしまう。みんなちゃんとご飯を食べただろうか、風呂はわかせたろうか、誰か怪我でもしてやしないか等々、家のことが気になって仕方がない。つい「いそぎて」しまうわけだが、しかし一方では、今日はそんなに急ぐ必要はない日であることが頭に浮かび、「いそがずに」帰ろうとは思うものの、すぐにまた早足で歩いている自分に気がついて苦笑している。こうした女のいじらしさがわかる人の大半は、もう五十代を越えているだろう。世の中、すっかり変わってしまった。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所収。(清水哲男)




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