参院選の焦点は「憲法問題」に。戦後民主主義の浮沈のかかる歴史的な選挙になるぞ。(哲




20070105句(前日までの二句を含む)

January 0512007

 松過ぎのまつさをな湾肋骨

                           原田 喬

正十三年「ホトトギス」第一回同人に推された原田濱人(ひんじん)は、虚子の許可を得て「ホトトギス」に書いた主観重視の論「純客観写生に低徊する勿れ」を理由に虚子に破門される。「ホトトギス」の同期の飯田蛇笏、原石鼎ら主観派に対する見せしめとしてスケープゴートにされたのだ。早い話が虚子にハメられたのである。その七年前、まだ二人の関係が良好であった頃、虚子は、奈良で教鞭をとっていた濱人宅を尋ね、その時四歳だった濱人の子喬(たかし)を句に詠んでいる。「客を喜びて柱に登る子秋の雨」虚子の句集『五百句』所収のこの句に詠まれた喬は、失意の父とともに郷里浜松で暮す。父は地元で俳句結社「みづうみ」を興し、生涯その指導に当る。父死後、喬は父の跡を継がず加藤楸邨に師事する。喬は1999年没。喬もまた郷里浜松で生涯を終えている。「まつさをな湾」は遠州灘。肋骨(あばらぼね)は、そこに生活の根を置く自己の投影。それはまた父から受け継いだ血と骨格である。句柄はおおらかで素朴。「土に近くあれ」を自己の信条とした。『灘』(1989)所収。(今井聖)




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