20061227句(前日までの二句を含む)

December 27122006

 丸髷で帰る女房に除夜の鐘

                           古今亭志ん生

語家のなかには俳句をやる人が何人もいる。なかでも現・入船亭扇橋(俳号:光石)は高校時代から「馬酔木」の例会に出ていた。すでに秋桜子の『季語集』に二句採られているほどである。川柳を楽しむ落語家も少なくない。名人・志ん生もその一人だった。掲出句はご存知「飲む・打つ・買う」はもちろん、赤貧洗うがごとき波瀾万丈の人生で、妻りんさんに多大な苦労をかけっぱなしだった志ん生の句として読むと、なかなか味わい深いものがある。昔の大晦日は、特に主婦がてんてこ舞いの忙しさに振りまわされた。この「女房」を妻りんさんとして読めば、大晦日は借金取りに追いまくられ、金策に東奔西走し、さらに大掃除など、とても自分の髪などかまってはいられない。まさに落語の「掛取り」や「にらみ返し」「尻餅」を地でいくようなあんばいである。どうやら一段落ついたところでホッとして、ようやく髪結いへ。丸髷をしゃんと結って帰る頃には、もう除夜の鐘が鳴り出す。まだ売れていない亭主は手持ち無沙汰で、それでも女房が工面してくれた酒を、あまり冴えない風情でチビチビやりながら女房の帰りを待つともなく待っているのだろう。丸髷が辛うじて女房を救っている。この句は必ずしも志ん生夫婦のこととしなくてもいい。かつての一般庶民の大晦日は、たいていそんなものだったと思う。鴉カァーで一夜明ければ元朝。亭主は「松の内わが女房にちょっと惚れ」などとヤニさがっていればいいのだから、いい気なものだ。それでも落語家は元日からは寄席の掛けもちで、女房ともども目のまわるような忙しさがはじまる。年末年始を家族そろって海外で・・・・なんて、ユメのまたユメの時代のものがたり。「文藝別冊〈総特集〉古今亭志ん生」(2006)所載。(八木忠栄)




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