20061220句(前日までの二句を含む)

December 20122006

 徒に凍る硯の水悲し

                           寺田寅彦

田寅彦については、今さら触れる必要はあるまい。物理学者であり、漱石門下ですぐれた随筆もたくさん残した。筆名・吉村冬彦。二十歳の頃には俳句を漱石に見てもらい、「ホトトギス」にも発表していた。俳号は藪柑子とも牛頓(ニュートン)とも。さて、一般的には、現在の私たちの書斎から硯の姿はなくなってしまったと言っていいだろう。あっても机の抽斗かどこかで埃にまみれ、「水悲し」どころか干あがって「硯の干物」と化しているにちがいない。私などはたまに気がふれたように筆を持ちたくなっても、筆ペンなどという便利で野蛮なシロモノに手をのばして加勢を乞うている始末。「硯の水悲し」ではなく「硯の干物悲し」のていたらくである。その昔、硯の水にしてみればまさか「徒に」凍っているつもりではあるまいが、冬場ちょっとうっかりしていると机の上の硯に残された水は凍ってしまったり、凍らないまでもうっすらと埃が浮いたりしてしまったものだ。それほど当時の部屋は寒かった。せいぜい脇に火鉢を置いて手をかざす程度。いくら寺田先生だって、まさか筆で物理学の研究をしていたわけではあるまい。手紙をしたためたりしたのだろう。だとすれば、忙しさにかまけてご無沙汰してしまって・・・・とまで、この一句から推察できる。この「悲し」はむしろ「あわれ」の意味合いが強く、悲惨というよりも滑稽味をむしろ読みとるべきだろう。一句から先生の寒々とした部屋や日常までが見えてくるようだ。たとえば同じ「凍る」でも、別の句「孤児の枕並べて夢凍る」などからは悲惨さが重く伝わってくる。1935年に発表した「俳句の精神」という俳句論のなかで、寅彦は「俳句の亡びないかぎり日本は亡びない」と結語している。71年後の今日、俳句と日本は果して如何? 『俳句と地球物理』(1997)所収。(八木忠栄)




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