20061208句(前日までの二句を含む)

December 08122006

 漂へる手袋のある運河かな

                           高野素十

い、おい、ちょっと待てよと虚子は慌てたに違いない。「素十よ、確かに俺は写せとは言ったけれど」と。虚子が「ホトトギス」内の主観派粛清の構想を練ったのは、飯田蛇笏や渡辺水巴、前田普羅などの初期の中核が、主観へのこだわりを持っていたから。見せしめに粛清され破門となったのは主観派原田濱人。そして、虚子は素十の作品を範として示して、「ホトトギス」の傾向かくあるべしと号令を発する。標語「客観写生」の始まりである。素十はいわば虚子学級の学級委員長として指名されたのである。心底虚子先生を尊敬して止まない素十は、言われるままに主観を入れずただひたすら写しに写した。その結果こういう句が生まれてきたのである。「客観写生」に対する素十の理解は、素材を選ぶことなく眼前の事物を写すこと。その結果、従来の俳句的情緒から抜けた同時代の感動が映し出される。たとえばこの句のように。虚子が考えていた「客観写生」はそれとは違う。従来の俳句の「侘び、寂び」観の中での写生。虚子のテーマは写すことそのものではなく、類型的情緒の固定化だった。運河に浮く手袋のどこに俳句的な情緒があるのか。虚子は自分の提唱した「客観写生」が、その言葉通り実行された結果、自分の意図と違った得体の知れない「近代」を映し出したことに狼狽する。モダニズムが必ずしも一般性を獲得しないことを虚子は知っていたから。虚子は慌てて「客観写生」を軌道修正し、「花鳥諷詠」と言い改める。「写生」が、本意と称する類型的情緒と同一視されていく歴史がこの時点から始まるのである。『素十全集』(1971)所収。(今井 聖)




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