20061206句(前日までの二句を含む)

December 06122006

 湯殿より人死にながら山を見る

                           吉岡 実

語のない句だが、句柄から春でも夏でもないことは読みとれる。秋から冬へかけての時季と受けとりたい。土方巽や大野一雄に敬愛され、暗黒舞踏に対して一家言もっていた吉岡実は、北方舞踏派の公演を山形へ観に出かけたことがあった。その折の羽黒山参拝をテーマに「あまがつ頌」という詩を書いた。掲出句はそのなかに挿入された俳句七句のうちの一句。「湯殿」は風呂であるが、ここでは湯殿山のことでもある。風呂で裸になった人が山を見上げている、その放心して無防備な姿は、死にゆく者のような不吉なふぜいと見ることもできるだろう。あるいは湯殿山(1500M)にいて、そこに連なる月山(1984M)を見上げている、どこやら不吉な図でもある。月山をはじめとして、ミイラ仏の多い一帯である。(私の祖父はよく「ナムアミダブツ・・・」と呟きながら湯船に沈んでいた。)「あまがつ頌」は詩集『サフラン摘み』(青土社・1976)に収められた。親しかった高柳重信を訪ねた吉岡実が、出来たばかりのこの詩集を渡すと一瞥して「自分には一寸つくれない奇妙な句だと感じ入ったように言った」と後に吉岡実は書き、同時に「芭蕉の『語られぬ湯殿に濡す袂かな』に挑戦を試みた」とも書いている。芭蕉の句を十分に凌駕しているではないか。掲出句と一緒に収められた他の句、「干葉汁すする歯黒の童女かな」は「羽黒」、「葛山麓糞袋もたぬかかし達」は「月山」、「雪おんな出刃山刀を隠したり」は「出羽」、「喪神川畜生舟を沈めける」は「最上川」を、それぞれ言い換えて冴えわたっている。いずれも身の引き締まるすさまじさ! 吉岡実は若い頃に俳句や短歌も実作していただけでなく、生涯にわたってそれぞれにきわめて強い関心をもちつづけた。句集『奴草』(2003)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます