20061204句(前日までの二句を含む)

December 04122006

 白鳥来る虜囚五万は帰るなし

                           阿部宗一郎

者は1923年生まれ、山形県在住。季語は「白鳥」で冬。遠くシベリアから飛来してきた白鳥を季節の風物詩として、微笑とともに仰ぎ見る人は多いだろう。しかしなかには作者のように、かつての抑留地での悲惨な体験とともに、万感の思いで振り仰ぐ人もいることを忘れてはなるまい。四千キロの海を越えて白鳥は今年もまたやってきたが、ついに故国に帰ることのできない「虜囚(りょしゅう)五万」の無念や如何に。ここで作者はそのことを抒情しているのではなく、むしろ呆然としていると読むのが正しいのだと思う。別の句「シベリアは白夜と墓の虜囚より」に寄せた一文に、こうある。「戦争そして捕虜の足かけ十年、私は幾度となく死と隣り合わせにいた。いまの生はその偶然の結果である。/この偶然を支配したのは一体何だったのか。人間がその答えを出すことは不可能だが、ひとつだけ確実に言えることは、その偶然をつくり出したものこそ戦争犯罪人だということである。/戦争を引き起こすのは、いついかなる戦争であろうとも、権力を手にした心の病める人間である」。いまや音を立ててという形容が決して過剰ではないほどに、この国は右傾化をつづけている。虜囚五万の犠牲者のことなど、どこ吹く風の扱いだ。そのような流れに抗して物を言うことすらも野暮と言われかねない風潮にあるが、野暮であろうと何だろうと、私たちはもう二度と戦争犯罪に加担してはならないのだ。それが、これまでの戦争犠牲者に対しての、生きてある人間の礼節であり仁義というものである。まもなく開戦の日(12月8日)。『君酔いまたも征くなかれ』(2006)所収。(清水哲男)




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