20061130句(前日までの二句を含む)

November 30112006

 外套のなかの生ま身が水をのむ

                           桂 信子

和30年代の冬は今より寒かった気がする。家では火鉢や練炭炬燵で暖をとり、今では当たり前のようになっている電車や屋舎での空調設備も整っていなかったように思う。時間のかかる通勤、通学にオーバーは欠かせない防寒衣。父が着ていた外套は毛布のようにずっしり重く、そびえる背中が暗い壁のようだった。厳しい寒さから身を守る厚手の外套は同時に柔らかな女の身体を無遠慮な世間の視線から守ってくれるもの。夫を病気で亡くし、戦争で家を焼失したのち長らく職にあった信子にとって、女である自分を鎧っていないと押し潰されそうになる時もあったのではないか。重い外套に心と身体を覆い隠して出勤する日々、口にした一杯の水の冷たさが外套のなかの生ま身のからだの隅々にまでしみ通ってゆく。その感触は外套に包み隠した肉体の輪郭を呼び起こすようでもある。逆に言えば透明な水には無防備であるしかないから厚い外套を着たまま水を飲んでいるのかもしれない。「生身」ではなく「生ま身」とひらがなを余しての表記に、外套からなまみの身体がのぞく痛さを感じさせる。彼女の俳句には緊張した日常の中でふっとほころびる女の心と身体が描かれていて、せつなくなる時がある。『女身』(1955)所収。(三宅やよい)




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