20061121句(前日までの二句を含む)

November 21112006

 霜の夜の目が濡れているぬいぐるみ

                           山田貴世

の夜とは、霜が降りる夜。気温が低くてよく晴れた風のない夜は霜が降りやすい、との解釈を読んで、ああ、霜は「降りる」ものなのだ、とあらためて感じいる。夜に発生した露が、秋では水の形態のまま明け方の露となり、冬も深まり朝方の放射冷却によって霜となるのかと理解する。しかし言葉の上では、露の「結ぶ」は地上が生み出すもの、霜の「降りる」は天上から賜るもの、という変化がある。地続きの露と比べ、「霜が降る」にはどこかファンタジーを感じる。また、霜の相に雪の結晶が見られることから「霜の花」という美しい表現もある。夜明けに清潔なガーゼを広げたように輝く一面の霜も、日が昇るにつれ、しっとりと消えてなくなってしまう。その夜明けの一瞬にだけ開く花の姿に、人形たちの夜中の舞踏会が終わる時間が重なる。アンデルセンの「すずの兵隊」やホフマンの「くるみ割り人形」に見られるように、人間が寝静まる時間におもちゃたちの遊び時間が始まり、朝日とともに動かぬ人形に戻る時間。掲句の「目が濡れている」には、黒々とした釦の目の形状を指しながら、あたかも今までまばたきをしていたかのような、ぬいぐるみの秘密の動から静の瞬間を見て取ることができる。「尼寺に静かなる修羅秋の蜘蛛」「忽と婆西日の景にまぎれこむ」などにも、季語から手渡されていく物語がある。また、本句集は新かなで通されている。作者の師である倉橋羊村氏は、まえがきで「作者が新仮名づかいを通してきたのは、同世代以降の読者を意識してのことだ」とあり、これは現代の俳句を詠む者として、常に胸にわだかまっていることだ。『湘南』(2006)所収。(土肥あき子)




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