20061115句(前日までの二句を含む)

November 15112006

 胸張つて木枯を呼ぶ素老人

                           佐藤鬼房

かにも鬼房。「素老人」は「すろうじん」であろう。鬼房には生前一度だけ、中新井田でお会いしたことがある。手書きの名刺を、緊張しながらおしいただいた。白い長髪を垂らして毅然とした痩躯の風貌は、氏の俳句から私が勝手に抱いていたイメージを裏切るものではなかった。まさしく「胸張つて」木枯でも炎暑でもやってこい、といった強い印象を与える「素老人」であった。もちろん奢っていたわけではない。“社会性俳句”や“新興俳句”など、この際どうでもよろしい。「素」になった老人にとって、木枯も寒冷も炎暑も恐るるにたりない。「素老人」は強引に「素浪人」に重ねても許されるだろう。逃げも隠れもせず、敢然として木枯を「呼ぶ」というふうに、激烈なものと向き合っているのだ。だからといって、嫌味のある老獪ぶりを誇示しているわけではなく、同時に己れを厳しく鼓舞している。ドラムを叩いて嵐を呼ぶ湘南あたりのアンちゃんがかつていたけれど、やからとはまったく別の、北の重心の低さ確かさがしたたかに感じられる。鬼房の第一句集『名もなき日夜』(1951)の序文で、西東三鬼は「鬼房は彼の詩友達と遠く離れゐて、極北の風と濁流に独り立つ。風化せず、押し流されず独り立つ」とすでに書いていた。鬼房は「極北の風と濁流」を貫き、みちのくで終生独り立ちつづけた、愚直なまでに。「切株があり愚直の斧があり」という代表句があるが、おのれをも「愚直の斧」たらしめて生きぬいた。掲句は1991年の作。句集『瀬頭』拾遺三句のうちの一句として、第十一句集『霜の聲』紅書房(1995)巻末に収められた。(八木忠栄)




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