20061114句(前日までの二句を含む)

November 14112006

 耳の奥かさと音して冬ぬくし

                           小野淳子

やお臍など、手ずからメンテナンスする身体の部位には、長年付き合ってきた独特の親しさがある。作者もいつからか耳の奥で「かさ」と音をたてるなにかに、わずかな愛着を感じている。とはいえ、掲句が耳鼻科医の目に触れたら「すぐに来院しなさい」と囁かれるかもしれない。立ち上がるたびに覚える軽いめまいのように、身の内から発信されるシグナルに「こんなものだ」と馴れようとする気持ちが、不調を見逃す大きな過ちであることも多いと聞く。しかし「耳の奥」とは、単に医学の範疇ではなく、奥の奥、すなわち顔の把手のような一対の耳にはさまれた大いなる空間を指しているものとも取れる。このたび興をつのらせ、あらためて耳の内部を図鑑で確認してみた。外耳から内耳へと細い道は続き、なんとも不思議なものに出会う。つち骨、きぬた骨、あぶみ骨なる小さな骨が連結して、鼓膜の振動を伝えているという。まるで騎馬隊がにぎやかに小槌を打ち鳴らしながら、中枢部へと馬を走らせているようである。さらに奥には前庭、蝸牛なる名称が続き、広大で風変わりな世界に迷い込んでいる心地となる。人体に宇宙がこっそりと収まるとしたら、それは胃袋でも、心臓でもなく、きっと耳の奥に違いない。冬の日だまりでゆっくりと頭を傾け、私の宇宙を回転させる。『桃の日』(2004)所収。(土肥あき子)




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