20061102句(前日までの二句を含む)

November 02112006

 秋の暮通天閣に跨がれて

                           内田美紗

天閣は大阪新世界にそびえる高さ100メートルのタワー。東京タワーと同じ設計者で、作られた時期も同じ頃なのに、まったく違う外観を呈している。両方ともその都市のシンボルであるが、東京タワーは赤いドレスを着て澄まして立っていて少し近寄りがたいが、通天閣は派手な広告をお腹につけて色の変わる帽子をかぶり、庶民的で気さくな雰囲気がある。足元には将棋場、歌謡劇場もある。展望台でビリケンのとがった頭をなでてジャンジャン横丁の串カツを食べて帰る。何でもありの天王寺界隈の賑わいにどこかもの寂しい秋の夕暮れがせまってくる。古来「秋の暮」は秋の夕暮れの意と、秋の季節の終わり(暮の秋)の両義を含みながら曖昧に用いられてきたらしい。「今では秋の日暮れどきだけに使う」(『新歳時記』河出文庫)となっているが、どうだろう。掲句のように大きな景には夕暮れの景色とともに一つの季節が終りつつある気分をも重ね合わせてみたい。通天閣が跨(また)ぐと擬人化した表現に大阪の街並みを見下ろしている通天閣の大きさと頼もしさが的確に表現されている。さらに「て」の止めに、暮れはやき今、ここで通天閣に跨がれている作者の安心が感じられるように思う。『魚眼石』(2005)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます