必修逃れ。高校の生徒会の動きはないのか。昔だったら一闘争ぶちあげたところだぜ。(哲




20061029句(前日までの二句を含む)

October 29102006

 軒下といふ冬を待つところかな

                           黛 執

年草、あるいは一年草という名前を見るたびに、日本語というのはなんときれいな言葉かと思います。ひとつひとつの草花を、これは「一年」あれは「多年」と、遠い昔に誰がえり分けたのでしょうか。一年草はその長い一年を、充分輝いた後に、自身を静かに閉じてゆきます。片や多年草は、厳しい冬を前にして、命をながらえる準備を始めます。必要のない箇所を枯らせ、命の核だけを残して、身を丸めてじっとするようになります。この句は、そんな、けなげに生き抜こうとしている植物に、人が手を貸しているところを詠っているのだと思います。少しでも霜の降りない場所へ、雨の降らない場所へ、鉢に入った生命を移動するために、ひとつずつ人が持ち、軒下へ置いて行きます。「軒下」を、「冬を待つところ」と言っているのは、単に雨や霜を防ぐことを指しているだけではなく、寒さを正面から受け止めようという、積極的な意思さえも表しているからなのでしょう。たくさんの鉢を軒下に並べ終わって、空を見上げれば、屋根からはみ出した冬空がまぶしいほどに光っています。立ち尽くせば、軒下という場所が特別に優しく感じられ、人にとってもたしかに、「冬を待つところ」のように感じられてきます。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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