名月。東京は雨。無月なれば琴きき橋の灯に集ふ(梶山千鶴子)なんて環境もなし。(哲




20061006句(前日までの二句を含む)

October 06102006

 梨剥くと皮垂れ届く妻の肘

                           田川飛旅子

調「写生」というのがあるとすれば、こういう句を言うのではないか。花鳥風月にまつわる古い情趣を「俳諧」と呼び、季語の本意を描くと称して類型的発想の言い訳に用いる。そんな「写生」の時代が長くつづいた。否、続いていると言った方がいい。子規が提唱した「写生」の論理はいつしか神社仏閣老病死の情緒へとすり替わっていった。ものを写すことの意味は「瞬間」を捉えることだ。なぜ「瞬間」を捉えるのか、それは、「瞬間」が「永遠」に通じるからだ。人は「瞬間」をそこにとどめることで「永遠」への入り口を見出したいのだ。それは「死」を怖れる感情に通じている。この句には作者によって捉えられた「瞬間」が提示されている。対象の焦点である「皮」を捉える精確な角度と描写。形容詞、副詞の修飾語を廃しての緊張した詩形。文体としての特徴は「と」にある。「写生」が抹香臭くなったのは、文体がパターン化したのも理由のひとつである。この「と」は従来の「写生」の文体の枠から出ている。『花文字』(1955)所収。(今井 聖)




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