一か八かの今岡の代打で龍の尻尾をつかんだぞ。あとはとにかく勝つしかない。(哲




20060930句(前日までの二句を含む)

September 3092006

 赤とんぼ洗濯物の空がある

                           岡田順子

蛉には澄んだ空が似合う。糸蜻蛉、蜻蛉生る、などは夏季だが、赤蜻蛉も含めて、ただ蜻蛉といえば秋の季題となっている。ベランダで洗濯物を干していると、赤とんぼがつつととんでいる。東京では、流れるように群れ飛ぶことはあまり無い、ほんの数匹。空は晴れ上がり、風が気持よく、あら、赤とんぼ、と句ができる。「洗濯物の空がある」は、赤とんぼから生まれてこその、力の抜けた実感であり、白い洗濯物、青い空、赤とんぼが、ひとつの風景となって鮮やかに見える。爽やかな印象だが、爽やかや、では、洗濯物はただぶら下がっているばかりだろう。句には一文が添えられており、故郷鳥取で続けてきた句会の様子が語られている。農家の人達が、忙しい農事の合間に、公民館で月一回行っていた句会は、作者が東京に移り住んだ今も続いているという。歳時記の原点は農暦(のうごよみ)であり、俳句は鉛筆一本紙一枚あればだれでもいつでもどこでもできる。「その野良着のポケットに忍ばせた紙と鉛筆が生き甲斐の証であり、生み出す一句一句には土に生きる人達の喜怒哀楽があった」。作ることが生き甲斐であり喜びである。郷愁を誘う赤とんぼ、洗濯物は今の都会の日常生活、そしてこの空は遠いふるさとにつながっている、のかもしれないけれど、作者と一緒にただ秋晴の空を仰ぎたい。同人誌『YUKI』(2006年秋号)所載。(今井肖子)




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