20060919句(前日までの二句を含む)

September 1992006

 遠ければ瞬きに似て渡り鳥

                           平石和美

やつくつく法師の声がすっかり聞こえなくなり、虫の声もまばらになる頃、しばらくすると海の向こうから鳥たちがやってくる。渡り鳥とは海を渡る鳥を総称するが、俳句ではこの時期の大陸から日本に向かう鳥を「鳥渡る」、春に大陸へ戻る鳥を「鳥帰る」と区別している。はるかかなたから群れをなし羽ばたく鳥の姿は、まさに「瞬き」であろう。さまざまな種類の鳥たちが、羽を揃え、かの地からこの地へ毎年あやまたず渡ってくる。空の片隅に現れる芥子粒ほどの鳥たちは、瞬きのあやうさを持ちながら、しかし瞬くたびに力強く大きく迫ってくる無数の矢印である。イソップ寓話のなかに「詩歌の女神ムーサが歌うと、当時の人間の一部は楽しさに恍惚となるあまり、飲食を忘れて歌い続け、知らぬ間に死んでいった。死んでいった連中は蝉となった。蝉たちは今でも、生まれても食物を必要とせず、飲まず食わずに直ちに歌い始めて死に至る」という話がある。一定の土地に安住することができない渡り鳥たちにも、どこか通じるような気がしてならない。瞬きに似る鳥たちを手招く作者の胸に、かつて翼を持っていた頃の記憶が灯っているのかもしれない。『桜炭』(2004)所収。(土肥あき子)




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