September 18 2006
おのが名に振り仮名つけて敬老日
長谷川双魚
自治体主催の「敬老の日」の集いに招待されたのだろう。受付で「おのが名」を書き、その上に「振り仮名」をつけた。なんでもないようなことだが、あまり良い感じはしない。こんなときにまで、なぜ名前に振り仮名までつける必要があるのか。「老いては子にしたがえ」ではないけれど、「老いてもなお官にしたがわされた」気分だ。そんなことは面倒くさいし、もうどうでもいいじゃないか。日頃はすっかりそうした気分で暮らしているのに、こういうところに出かけてくると、唯々諾々と言いなりになってしまう自分も情けないと思う。苦笑を通り越して、いささかみじめな気持ちにさせられている。催しがはじまれば、すぐにも忘れてしまうような些事ではあるだろう。だが作者としてはおだやかな表現ながら、どうしてもこだわっておきたかったのだ。国民の祝日に関する法律(祝日法)によると、敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としているそうだ。となれば、この祝日の主体は老人ではなく、老人以外の若い人である。その若い人たちに本当に老人を敬愛する気持ちがあるのなら、招待した老人の身元をいちいち確認するような無神経な振る舞いをするだろうか。作者はそこまで思っていないのかもしれないが、法的高齢者の一員たる私としては、そこまで言わなければ気がすまない。あちこちで目にし耳にし、体験する老人への偽善的態度には我慢のならないことが多いからだ。こっちは別に敬愛してくれなくたって、さらさら構わないのである。『新日本大歳時記』(1999・講談社)所載。(清水哲男)
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