なくしたコンタクトが二日ぶりに見つかった。こいつは縁起が良い。阪神、がんばれ。(哲




20060829句(前日までの二句を含む)

August 2982006

 花茗荷きょうが終ってしまいけり

                           宇咲冬男

の長い残暑もようやくその尾を巻き取ろうとしている。ひと筋の風が頬に触れ 、蜩の声が聞こえると、どこか遠くで準備されていた秋が、すぐそこに近づいてきたのだと気づく。新しく巡る季節のなかで、秋の始めをことさら意識するのは、夏が力づくでやってきて、まるで終わることなど考えられないような激しさで毎日を攻めたてていたからだ。力のあるものの終わりを見つめることの悲しみが、秋の始まりにはある。一日が「終わる」のではなく「終わってしまう」という掲句もまたこの時期ならでは焦燥感が込められている。さらに「けり」の切れ字によって、自分ではいかんともしがたい圧力が加わり、途方に暮れる気持ちが一層強まる。茗荷の花という一般にあまり馴染みのない花の、地面からいきなり突き出る唐突とさえ思えるような形が、作者のとりとめのない心情にぴったりと寄り添い、はかなく美しい秋を象徴しているようだ。永遠に続くと思っていた夏休みもあと三日。たっぷり残った宿題を前に呆然としていた小学生時代こそ、今日が終わってしまうことにすがるような心地であったことをふと思い出す。『塵劫』(2006)所収。(土肥あき子)




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