居酒屋チェーンのワタミが介護専門の大学院設立へ。本来は国がやるべきことなのに。




20060626句(前日までの二句を含む)

June 2662006

 酒ならばたしなむと言へ鱧の皮

                           吉田汀史

語は「鱧(はも)」で夏。「鱧」は、梅雨の水を飲んで美味くなると言われる。関西名物、そろそろ旬である。先日、大学時代からの友人と呑んだ。関西生まれ、関西育ちの男だ。店の品書きに大きく「ハモ」と書いてあったので、「夏だなあ、食おうか」と言ったら、彼は「やめとこう」と言った。「どうせ冷凍だ。新鮮じゃない。本場の鱧とは比較にならん」と、ニベもない。「それもそうだな」と、ちょっと未練は残ったけれど、私もやめとくことにした。掲句の作者は徳島在住なので、鱧の鮮度など気にする必要はない。揚げた「鱧の皮」を肴に、一杯やっている図だろう。いかにも美味そうだ。思わず、酒もすすみがちになるはずだ。が、作者はほろ酔い気分のなかでも、あまり調子に乗って飲み過ぎないようにせねばと、自制の心を働かせている。これは実は多くの酒飲みに共通の心の動きなのだが、作者をして掲句を作らしめたのには、次のような事情もあったからだった。自解に曰く。「大酒呑みであった父は、ボクが小学三年の時に急死した。酒が原因だという。『たしなむ』には、とり乱さない、つつしむ、我慢するという意があるようだ。父と呑まなくてよかった。息子の方が照れる」。したがって、誰かに「お酒は」と聞かれたら、「銚子一本ならと答えたい」と書いている。そう言えば、私の父は「たしなむ」どころか、婚礼の席などのヤムを得ないときは除いて、普段は一滴も口にしない。やはり父親が大酒飲みで、幼い頃から酒飲みの狂態や醜態を見て育つうちに、自然に酒を拒否するようになったらしいのだ。そして、その息子たる私は、酒が常備されていない家庭に育ったせいか、若い頃には酒に対する好奇心も人一倍あって、逆に人並み以上に呑むようになってしまった。もっとも、いまはビールしか呑めないが……。先の友人との夜も、すぐに「たしなむ」度合いは越えてしまい、閉店時間に追い出されるまで座り込んでいたのであった。『汀史虚實』(2006)所収。(清水哲男)




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