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20060621句(前日までの二句を含む)

June 2162006

 東京都式根無番地磯巾着

                           曽根新五郎

っきり夏の季語とばかり思っていたら、「磯巾着(いそぎんちゃく)」は春だった。ま、いいか。春の季語にした理由は、どうやら春にいちばん数多く見られるからということらしい。「式根」は式根島で、東京から南に160キロの太平洋に浮かぶ小さな島だ。ただし、伊豆七島の数には入っていない。新島の属島という扱いで、式根の住所は「東京都新島村式根島255番地1」などと表示される。この句は、「無番地」と磯巾着の取り合わせが面白い。無番地ゆえに人は居住しておらず、すなわち人影も無く、浜辺には磯巾着のみが散在して静かに暮らしている。磯巾着に郵便物が来ることはないから、無番地でもいっこうに構わないわけだが、しかし無番地に平気で住んでいるというのは、どことなく可笑しいし、いくばくかの哀しさも感じられる。とまあ、初読の感想はこのようであった。おそらくは作者の狙いも、このあたりにありそうである。しかし、ちょっと気になったので「無番地」のことを調べてみた。そうすると、まず無番地とは、いわゆる地番が無いことではなく、「無」というれっきとした地番があるということだった。たとえば「神奈川県横須賀市田浦港町無番地」といった「無番地地番」は、全国に数えきれないほどある。それこそ伊豆諸島の有人の島ては最南端にある青ヶ島の地番は、全島が無番地だ。では、なぜ無番地なのかと言えば、もともとが番地の無い国有地が払い下げられたものだったり、自治体がとりあえず無番地とした土地がそのままになっていたり、あるいは川などを埋め立てた新しい土地だったりと、一言では定義できないほどに様々である。実は東京の四谷駅も無番地なんだそうで、無番地にも人はたくさんいる場合があるということがわかった。となれば、掲句の無番地はどう解釈すべきなのか。なんだか、よくわからなくなってきてしまったが、作者はやはり人里離れた土地という意味で使ったのだろうと、一応はそうしておきたい。『合同句集 なかむら 1』(2006)所載。(清水哲男)




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