戒名もネット販売時代に。のぞいてみると、確かに安価だ。私は俗名のままでよろしい。




20060616句(前日までの二句を含む)

June 1662006

 坂がかり夕鰺売りの後に蹤く

                           能村登四郎

語は「夕鰺(ゆうあじ)」で夏、「鯵」に分類。海釣りが好きで、食べる魚では「鯵」が好きだった詩人の川崎洋さんが、最後の著書となった『魚の名前』(いそっぷ社)で、次のように書いている。「朝飯はご飯、おみおつけ、梅干し、納豆がゆるぎない定番で、ほかにアジの干物が食卓に並ぶ率が七割くらいです。晩酌の肴は刺身が主で、季節によりアジ刺を所望します。アジサシと言っても海中に急降下してアジを刺す鳥のアジサシではありません。夕餉のときはうちのネコが椅子の横下に座り、刺身をねだりますが、アジ刺のときは、目の色が変わります。江戸時代からアジはカツオについで夏の食卓を飾る魚でした。とくに『夕鯵』と称して夏の夕方に売りに来るアジは新鮮なものでした」。川崎さんほどではないが、私にもアジは好物だ。いかにも「夏は来ぬ」の情趣がある。掲句は、まさに「夏は来ぬ」の情景を詠んでいて好ましい。たまたま坂道にかかるところで、「夕鰺売り」の後に「蹤(つ)く」かたちになった。それだけしか書かれてはいないが、句から汲み取れるのは、海からさほど遠くない住宅街の夕方の雰囲気だ。夏の夕暮れだから、まだ明るい。そろそろ夕飯の支度時で、どこからか豆腐屋のラッパの音も聞こえてきそうだ。坂をのぼりながら、作者は今日一日の仕事の疲れが癒されてゆくのを覚えている。ある夏の日の夕暮れの平和なひとときを、さりげなくスケッチしてみせた腕前はさすがである。『合本俳句歳時記・第三版』(1987・角川書店)所載。(清水哲男)




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