「つないで、つないで」の阪神はしぶとい。さすがに東京の一般紙も大きく扱いはじめた。




20060604句(前日までの二句を含む)

June 0462006

 鍵穴殖え六月の都市きらきらす

                           櫛原希伊子

語は「六月」。作者自注に「このころ、マンションというものがあちらこちらにできはじめ高速道路が走り、都市が拡張していった」とある。「このころ」とは、1965年(昭和四十年)である。東京五輪開催の翌年だ。普通の感覚からすれば、「六月」は雨の季節だから、「きらきら」しているはずはない。しかし当時の都市は、たしかに掲句の言うように、たとえ低い雲がたれ込めていようとも、発展していく活力が勝っていたので「きらきら」と輝いて見えたのだった。都市の膨張ぶりを、ビルの林立などと言わずに、「鍵穴殖(ふ)え」としたところも面白い。「このころ」の世相を思い出すために、当時流行した歌にどんなものがあったかを調べてみた。洋楽では何と言ってもビートルズだったが、日本の歌でヒットしたのは次のような曲だった。「女心の唄」(バーブ佐竹・♪ あなただけはと信じつつ 恋におぼれてしまったの)、「まつの木小唄」(二宮ゆき子・♪ 松の木ばかりが まつじゃない 時計をみながら ただひとり)、「兄弟仁義」(北島三郎・♪ 親の血をひく 兄弟よりも かたいちぎりの 義兄弟)、「二人の世界」(石原裕次郎・♪ 君の横顔 素敵だぜ すねたその瞳(め)が 好きなのさ)、「愛して愛して愛しちゃったのよ」(田代美代子・♪ 愛しちゃったのよ 愛しちゃったのよ あなただけを 死ぬ程に)、「女ひとり」(デューク・エイセス・♪ 京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり)、「涙の連絡船」(都はるみ・♪ いつも群れ飛ぶ かもめさえ とうに忘れた 恋なのに 今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が 独りぼっちで 泣いている)、「君といつまでも」(加山雄三・♪ ふたりを 夕やみが つつむ この窓辺に あしたも すばらしい しあわせが くるだろう 君の ひとみは 星と かがやき(略) しあわせだなあ 僕は君といるときが一番しあわせなんだ 僕は死ぬまで君をはなさないぞ いいだろう)、「知りたくないの」(菅原洋一・♪ あなたの過去など 知りたくないの)。とまあ、こんな具合で、歌もまた「きらきら」しており、まことに歌は世につれの感が深い。一方で、この年の暗い出来事としては、アメリカによるベトナム戦争への介入があった。だが、多くの人々に、この戦争の泥沼化への予感はまだなかったと思う。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)




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