俳句誌の裏表紙にまで広告する『ダ**コード』なんて見たくない。ゴキブリほいほいだね。




20060525句(前日までの二句を含む)

May 2552006

 光りかけた時計の表梅若葉いま

                           北原白秋

語は「若葉」で夏。ちなみに「柿若葉」「椎若葉」「樫若葉」という季語はあっても、「梅若葉」の季語はない。やはり、何と言っても梅は花が第一だからだろう。しかし、それを承知で「梅若葉」とやったところに、白秋の少しく意表を突き新味を出そうとするセンスが感じられる。「時計」は柱時計で、窓際近くに掛けられている。そこに折りからの初夏の日差しがとどいて文字盤が「光りかけ」、窓から見える梅は若葉の盛りだ。柿若葉のように葉に艶はないけれど、いかにも生命力の強そうな感じの葉群が見えている。状況からして午前中も早い時間の光景であり、活力のある一日のはじまりが告げられている。白秋らしい明るい句だ。大正末期の作と推定され、白秋はこの時期に集中して自由律俳句を書いたが、以降は短歌に転身してしまう。体質的に、情を抒べられる短歌のほうが似合ったのだろう。このあたりのことを考えあわせると、五七五の定型句ではなく自由律を好んだ理由もわかるような気がする。「梅若葉」で、もう一句。「飯の白さ梅の若葉の朝」。朝の食卓に、梅若葉の清々しくも青い影が反射している様子だ。ただ、私には「飯の白さ」が気にかかる。米騒動が起きたほどの米価高騰時代の作としては、白秋は単なる彩りに詠んだつもりかもしれないが、当時の読者のなかにはむかっと来た者も少なくはなかったはずだからだ。『竹林清興』(1947)所収。(清水哲男)




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