May 182006
背を流す人を笑いて母薄暑
大菅興子
季語は「薄暑(はくしょ)」で夏。句集から察するに、作者のご母堂はいわゆる「認知症」の方のようだ。介護の「人」に、入浴させてもらっている。でもその「母」は、何が可笑しいのか、その「人」のことを笑っているのだ。この笑いは、もしかすると「嗤い」に近い無遠慮な「笑い」なのかもしれない。このような事情と状況からして、夜ではなく、まだ明るい時間の入浴だろう。表は汗ばむような陽気で、ときおり緑の風も心地良く吹いている。これで母が何事もなく健康でいてくれさえしたら、もうそれ以上望むことなどは何もないのに……。作者のやり場のない思いが、哀感とともにじわりと伝わってくる。作者をよく知る鈴木明(「野の会」主宰)が掲句について、句集の序文で次のように書いており、この解説にも感銘を受けた。「この利己的ともいえる母を作者は許している。母の老いを切なく許すのだ。しかもけっして人には言えぬこと。しかし俳句という定型詩がその彼女を解放する。老いた母親同様に自由の精神を彼女にふるまう。ここで思っていても言えなかったことを俳句で言えたのだ。そのことで、いままで見えなかった精神世界がひらかれたと、私は思う。興子俳句はこうして前進する。真に、文芸のめざす視野がひらけてくる」。俳句ならではの表現領域が確かにあることを、この文章で再確認させられたことであった。『母』(2006)所収。(清水哲男)
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