訪米した胡錦涛がマイクロソフト社を見学。米のシンボル企業も変われば変わったものだ。




20060420句(前日までの二句を含む)

April 2042006

 清水次郎長が大好き一番茶

                           吉田汀史

語は「一番茶」で春、「茶摘(ちゃつみ)」に分類。摘みはじめの十五日間(4月下旬頃)に摘んだものを「一番茶」と呼び、最上とする。掲句は、そんな一番茶を喫する喜びを卒直に詠んでいる。「旅ゆけば駿河の国に茶の香り」と広沢虎造の「清水次郎長伝」で歌われたように、茶といえば駿河、駿河といえば海道一の大親分だった清水の次郎長だ。したがって、茶と次郎長は付き過ぎといえば付き過ぎだけれど、しかし付き過ぎだからこそ、作者の上機嫌がよく伝わってくるのである。次郎長の本名は山本長五郎といい、通称次郎長は次郎八方(かた)の長五郎で、相続人の意だ。幼くして悪党の評があり、家業(米穀商)のかたわら博奕に手を出し、賭場に出入りするようになる。1842年(天保13)賭場のもつれから博徒に重傷を負わせて他国に逃げ、無宿渡世に入る。浪曲や講談でのヒーローも、そう褒められた生活者ではなかったが、1868年(明治1)東海道総督府判事・伏谷如水から旧悪を許されて帯刀の特権を得、新政府の東海道探索方を命じられてからは、囚人を使役して富士の裾野を開墾したり、汽船を建造して清水港発展の糸口をつけたり、その社会活動は精力的でみるべきものが多い(藤野泰造)。明治26年病死、葬式には1000人前後の子分が参列したという。また「清水港は鬼より恐い、大政小政の声がする」とはやされたように、一昔前までは清水といえば誰もが次郎長を連想したものだが、いまではすっかり「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)にお株を奪われた格好になっている。『一切』(2002)所収(清水哲男)




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