午後から先月急逝した余白句会の仲間白川宗道の追悼句会。俳句大好きの面白い男だった。




20060321句(前日までの二句を含む)

March 2132006

 春分の日なり雨なり草の上

                           林 翔

語は「春分の日」。彼岸の中日である。明日からは、日に日に昼の時間が長くなってゆく。春本番も間近だ。そんな気分でいるので、春分の日の雨も鬱陶しくはない。生えてきた草々の上に柔らかく降っている雨、これもまた良し。暖かい季節の到来がもうすぐだと思う心は、何に対してもひとりでに優しくなるようだ。「春分の日なり」そして「雨なり」の畳み掛けが、よく効いている。そして、それらをふんわりと受け止めるかのような「草の上」というさりげない措辞もまた……。「草の上」か……、実に的確だ。しかし、長年自由詩を書いてきた私からすると、この「草の上」と据える書き方は到底できないなあと、実は先程から少々めげている。「なり」「なり」という畳み掛けに似たような書き出しは何度か試みてきたし、これはむしろ自由詩のほうが得意な手法かとも思うのだが、まことにシンプルに、あるいは抽象的に「草の上」と押さえる勇気は出ないからだ。「草」といってもいろいろ種類もあるし、生えている状況もまちまちである。そのあたりのことを書き込まないと、どうも落ち着いた気分にはなれず、たとえ最後に「草の上」と書くにしても、なんじゃらかんじゃらと「草の上」を補強しておかずには不安でたまらない。すなわち、「なり」「なり」の畳み掛けのいわば風圧に耐えるべく、「草の上」と着地する前に、いろんなクッションを挟み込みたくなるというわけだ。それをしれっと「草の上」ですませられる俳句とは、まあ何と強靭な詩型であることか。詩の書き手としては、俳句に学ぶことが、まだ他にもイヤになるほど沢山ありそうな……。こいつぁ、春から頭がイタいぜ。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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