本日の「中日新聞」「東京新聞」各夕刊に、「増殖する俳句歳時記の10年」を書きました。




20060317句(前日までの二句を含む)

March 1732006

 両の手に桃とさくらや草の餅

                           松尾芭蕉

語は「桃(の花)」と「さくら(桜)」と「草(の)餅」とで、春。彩り豊かな楽しい句だ。この句は芭蕉が『おくのほそ道』の旅で江戸を後にしてから、二年七ヶ月ぶりに関西から江戸に戻り、日本橋橘町の借家で暮らしていたときのものと思われる。元禄五年(1692年)。この家には、桃の木と桜の木があった。折しも花開いた桃と桜を眺めながら、芭蕉は「草の餅」を食べている。「両の手に」は「両側に」の意でもあるが、また本当に両手に桃と桜を持っているかのようでもあり、なんともゴージャスな気分だよと、センセイはご機嫌だ。句のみからの解釈ではこうなるけれど、この句には「富花月。草庵に桃櫻あり。門人にキ角嵐雪あり」という前書がある。「富花月」は「かげつにとむ」と読み、風流に満ち足りているということだ。「キ角嵐雪」は、古くからの弟子である宝井基角と服部嵐雪を指していて、つまり掲句はこの二人の門人を誉れと持ち上げ、称揚しているわけだ。当の二人にとってはなんともこそばゆいような一句であったろうが、ここからうかがえるのは、孤独の人というイメージとはまた別の芭蕉の顔だろう。最近出た『佐藤和夫俳論集』(角川書店)には、「『この道や行人なしに秋の暮』と詠んだように芭蕉はつねに孤独であったが、大勢の弟子をたばねる能力は抜群のものがあり、このような発句を詠んだと考えられる」とある。このことは現代の結社の主催者たちにも言えるわけで、ただ俳句が上手いだけでは主宰は勤まらない。高浜虚子などにも「たばねる能力」に非凡なものがあったが、さて、現役主宰のなかで掲句における芭蕉のような顔を持つ人は何処のどなたであろうか。(清水哲男)




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