毎春、とーっても良く当る気象庁の桜開花予想によれば、東京は平年より早い25日です。




20060302句(前日までの二句を含む)

March 0232006

 卒業歌なればたちどまりきゝにけり

                           加藤かけい

語は「卒業」で春。私の場合は、中学卒業が最も想い出に残っている。卒業式での涙が、いちばん多かった。というのも、私が卒業した(1953年)学校では、高校に進学する同級生は四人か五人に一人くらいと少なく、あとは就職するか家事手伝いとして社会に出たからだ。とくに、女の子の進学率は低かった。つまり互いの進路がばらばらだったので、それこそ卒業歌の「仰げば尊し」の「いざ、さらば」の感懐は一入だったのである。卒業式の日に、私は学校にハーモニカを持っていった。式が終わった後の謝恩会で、何か一曲吹くためだったと思う。その謝恩会が終わった後も、みんなまだまだ校舎を去り難く、教室や校庭のあちこちで仲良し同士の輪ができているなか、私はひとりハーモニカを吹いて別れを惜しんでいた。と、突然つかつかと女の子が近づいてきて言った。「止めてよ、そんなの。悲しくなるばっかりじゃないの」。ただならぬ剣幕に圧倒されて、何も言い返せず、すごすごとハーモニカを引っ込めたことを覚えている。でも、往時茫々。もはや、その女の子の面影すらも忘れてしまった。あれは、いったい誰だったのか。掲句は、たまたま学校の傍を通りかかったときの句だろう。べつに母校でもなければ、身内の関係する学校でもない。しかし、聞こえてきた卒業歌にひとりでに足が止まり、しばし聞き入っている。聞いているうちに思い出されるのは,やはり自分の卒業したころのいろいろなことであり、友人たちの誰かれのことである。現在の卒業歌は学校によってさまざまに異なるが、昔は全国どこでも「仰げば尊し」に決まっていた。だから、たとえ縁もゆかりもない学校から聞こえてくる卒業歌でも、掲句のように、我がことに重ねられたというわけだ。『俳句歳時記・春の部』(1955・角川文庫)所収。(清水哲男)




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