秋玲二さんが亡くなった。私と同世代で彼の「勉強まんが」を知らない人はいないだろう。




20060226句(前日までの二句を含む)

February 2622006

 日曜と思ひながらの朝寝かな

                           下田實花

語は「朝寝」で春。昔から「春眠暁を覚えず」(孟浩然)と言うが、暁を過ぎてからの寝直しが朝寝だろう。夜間に熟睡しても、なお寝床から離れ難く、うつらうつらと過ごす心地良さ。つまり、朝寝は当人がそれと自覚した睡眠なのであって、前の晩から前後不覚に何も覚えず寝通している状態では朝寝とは言えまい。その意味で、掲句は朝寝の最たるもので、うとうとしてははっとして、今日が「日曜」であることを確かめて安心している。そしてまたうとうとしていくのだが、そのうちにまたはっとして確かめているのだ。今朝あたりは、きっとそういう読者もいらしたことだろう。もっとも現在では日曜日だけではなく、土曜日も休日として定着しているので、日曜日のありがたさはやや薄らいできてはいる。私がサラリーマンだった昭和三十年代から四十年代のはじめにかけては、日曜日だけが休みだったので、まさに掲句の通りだった。朝寝どころか昼寝までして、起きたらとりあえず銭湯に出かけ、ちょっとうろうろしていると、もう日暮れになってしまう。なんとも自堕落な日曜日の過ごし方だったわけだが、一方では、そんな朝寝のできる日曜日を無上の楽しみにしている自分が、なんだかみじめで情けなかった。いわゆる会社人間ではないつもりだったけれど、これでは同じようなものじゃないか……と。そのころ知った狂歌に、こういうのがあって身に沁みた。「世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」。ところがその後無職になったら、今度は切実に「浮世の馬鹿」に戻りたいと願ったのだから、世話はない。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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