ホリエモン・メールで言いあってるけど、お互いにメールの仕組みなどわかってんのかね。




20060222句(前日までの二句を含む)

February 2222006

 さびしさのじだらくにゐる春の風邪

                           上田五千石

語は「春の風邪」。俳句では、単に「風邪」というと冬季になる。冬だろうが春だろうが、風邪引きは嫌なものだ。が、程度にもよるけれど、冬の風邪がしっかり身にこたえるのに比べて、春の風邪はなんとなくだるい感じが先行する。ぐずぐずと、いつまでも治らないような気もする。そんな春の風邪の気分を、巧みに言い止めた句だと思う。いわば「春愁」の風邪版である。外光も明るいし,気温も高い。そんななかで不覚にも風邪を引いてしまい、いわれなき「さびしさ」にとらわれているのだ。そしてその「さびしさ」は、だんだんに嵩じてくると言うよりも、むしろだらりと「じだらく(自堕落)」な状態にある。つまり心身から緊張感が抜けてしまっているので、「さびしさ」までもが一種の自己放棄状態になってしまっているというわけだ。どうにもシマらない話だが、しかしこの状態に「ゐる」のは、必ずしも不快な気分ではない。たとえいわれなき「さびしさ」であるにもせよ、それが自堕落であってもよいのは、せいぜいが風邪引きのときくらいのものだからだ。日常的、社会的な関係のなかで、ふっと訪れた緊張感を解くことの許される時間……。風邪はつらいけれど、一方でそのような時間を過ごせる気分はなかなか味わえるものではない。「さびしさ」を感じつつも、作者は「じだらくにゐる」おのれの状態をいやがってはいない。私もときに、発熱してとろとろと寝ているときに、そんな気分になることがある。『天路』(1998)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます