東京はしばらく雨か曇りの天気がつづきそうです。菜種梅雨にはちと早すぎる。如月梅雨?




20060221句(前日までの二句を含む)

February 2122006

 勇気こそ地の塩なれや梅真白

                           中村草田男

語は「梅」で春。迂闊にも、この句が学徒出陣する教え子たちへの餞(はなむけ)として詠まれたことを知らなかった。つい最近、俳人協会の機関紙「俳句文学館」(2006年2月)に載っていた奈良比佐子の文章で知った。「地の塩」はマタイ伝山上の説教のなかで、イエスが弟子たちに、「あなたがたは地の塩である」と言っていることに由来している。「だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」。このときに作者は「(きみたちの)勇気」こそが「地の塩」を塩たらしめると言ったわけだが、しかしこの「勇気」の中身については何も言及されていない。当時の時局を考えるならば、中身は「国のために死ぬ勇気」とも、あるいは逆に「犬死にを避ける勇気」とも、まだ他にもいろいろと解釈は可能だ。「とにかく死なずに戻って来い」などとはとても公言できない時代風潮のなかでは、新約聖書の匂いを持ち出すだけでも、それこそ大変な勇気が必要だったと思う。したがって、勇気の中身を問うのは酷に過ぎる。作者もまた曖昧さを承知で、そのあたりのことは受け手である学生たちの理解にまかせてしまっている。だから作者は、その曖昧な物言いに、せめて純白の梅の花を添えることで、死地に赴く若者たちへの祈りとしたのだろう。作者の本心は「地の塩」や「勇気」にではなく、凛冽と咲く「梅真白」にこそ込められている。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)




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