節分一句。「福はケチ鬼は論外ね坊や」(村井和一)。シラケますねえ、最近の豆撒きは。




20060203句(前日までの二句を含む)

February 0322006

 日向ぼこ呼ばれて去ればそれきりに

                           中村汀女

語は「日向ぼこ」で冬。リルケに「老人("Greise")」という短編がある。七十五歳になったペーター・ニコラスは毎朝、市の公園に不自由な足で日向ぼこに出かけていく。菩提樹の下のベンチに坐るのだが、彼は真ん中に,そして両側にはいつも近くの(森林太郎、つまり鴎外の訳によれば)「貧院」からやってくる彼よりも少し年長の男が一人ずつ坐る。ベビイとクリストフだ。三人の坐る場所は変わらず、儀礼的な挨拶はするけれど,親しく話し合うということはない。やがて正午になると、彼だけには可愛らしい孫娘の声が耳元でささやく。「おじいさん、お午(おひる)」。そうして二人はいつも決まった時間に家に戻っていき、残された二人の老人は、黙って彼らの後ろ姿が消えるまで見送る。で、むろん「それきりに」なってしまう。しかし、たまにどうかすると、その孫娘が摘んできた草花が二、三本落ちていることがある。すると老人の一人が恥ずかしそうにそれを拾い、片方の老人はといえば、馬鹿らしそうにその姿を見ているだけだ。「併し貧院に戻り着くと、ベビイが先に部屋に入つて、偶然の様にコツプに水を入れて窓の縁に置く。そして一番暗い部屋に腰かけて、クリストフが拾つて来た花をそれに挿すのを見てゐる」。物語は、ここでお終い。掲句の鑑賞も、この短編に含まれていると思うので、今日はこれでお終いです。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)




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