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20051229句(前日までの二句を含む)

December 29122005

 餅板の上に包丁の柄をとんとん

                           高野素十

語は「餅」で冬。昔の餅は円形が普通だったので、「望(もち)」からの命名とも。句の餅は、いわゆる熨斗餅(のしもち)で四角形だ。これをいまから切り分けようというわけで、その前にまず包丁の柄(え)を餅板の上で「とんとん」とやっているところ。懐かしい仕草だ。というのも、昔の包丁の柄は抜けやすかったので、とくに固い物を切るときには、途中で抜けない用心のため逆さにして「とんとん」とやったものだ。しかし、この句の場合はどうだろうか。包丁の柄が少しぐらついていると解してもよいけれど、柄はしっかりとしているのだが、これから固い餅を切るぞという気合いがそうさせたのだと、私は解しておく。一種のちょっとした儀式のようなものである。それにしても、「とんとん」とは可愛らしい表現だ。そう言えば、素十には「たべ飽きてとんとん歩く鴉の子」がある。山口県育ちの私は丸餅が主流だったので、こうやって切るのはかき餅だけ。薄く切らねばならないこともあって、子供の手ではとても無理だった。当時の農家の餅は、むろん正月用のもあったけれど、大半は冬の間の保存食として搗かれた。すなわち、正月が終わっても、来る日も来る日も餅ばかりなのであって、あれにはうんざりだったなあ。とくに朝焼いて学校の弁当にした餅は、食べる頃にはかちんかちんになっている。味わうというよりも、とりあえず飲み込んでおこうという具合で、その味気なさったらなかったっけ。三が日で食べきってしまうくらいの量が、理想的である。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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