今年中にできるはずの近所の建て替え住宅が、まだできない。他人事ながら気になる…。




20051228句(前日までの二句を含む)

December 28122005

 荷がゆれて夕陽がゆれて年の暮

                           岩淵喜代子

末の慌ただしさを詠んだ句は枚挙にいとまがないが、掲句は逆である。と言って、忙中閑ありといった類いのものでもない。このゆれている「荷」のイメージは、馬車の上のそれを思わせる。大きな荷を積んだ馬車が、夕陽の丘に消えていく。牧歌的な雰囲気もあるけれど、それ以上にゆったりと迫ってくるのは、行く年を思う作者の心である。すなわち、行く年を具象化するとすれば、今年あったこと、起きたこと、その他もろもろの事象などをひっくるめた大きな「荷」がゆれながら、これまたゆれる夕陽の彼方へと去っていくという図。もちろん夕陽が沈み幾夜かが明ければ、丘の向うには新しい年のの景観が開けているはずなのだ。「年の暮」の慌ただしさのなかにも、人はどこかで、ふっと世の雑事から解放されたひとときを味わいたいと願うものなのだろう。その願いが、たとえばこのようなかたちを伴って、作者の心のなかに描かれ張り付けられたということだろう。そしてこの「荷」は、おそらくいつまでも解かれることはないのである。来年の暮にも次の年の暮にも、永遠にゆれながら夕陽の丘の彼方へと消えていくのみ……。それが、年が行くということなのだ。去り行く年への思いを、寂しくも美しく、沁み入るが如くに抒情した佳句である。現代俳句文庫57『岩淵喜代子句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)




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