今月の看板写真は、読者のkiisさんが中学時代に苦労して撮った作品です。お楽しみに。




20051201句(前日までの二句を含む)

December 01122005

 冬の雨火箸をもして遊びけり

                           小林一茶

語は「冬の雨」。時雨とはちがって、いつまでも降り続く冬の雨は侘しい。降り方によっては、雪よりも寒さが身に沁みる。芭蕉に「面白し雪にやならん冬の雨」があるように、いっそのこと雪になってくれればまだしも、掲句の雨はそんな気配もないじめじめとした降りようだ。こんな日は、当然表になど出たくはない。かといって、鬱陶しさに何かする気も起こらず、囲炉裏端で「火箸をも(燃)して」遊んでしまったと言うのである。飽きもせずに火箸をもして、真っ赤に灼けたそれを見ながら、けっこう真剣な顔をしている一茶の姿が目に浮かぶ。したがって、句はそんな自分に苦笑しているのではない。むしろ、そんなふうに時間を過ごしたことに、侘しさを感じると同時に、他方ではその孤独な遊びにほのかな満足感も覚えている。侘しいけれど、寂しいけれど、そのことが心の充足感につながったというわけだ。そしてこの侘しさや寂しさをささやかに楽しむという感覚は、昔の人にしては珍しい。この種のセンチメンタリズムが一般的に受け入れられるようになったのは、近代以降のことだからである。子供の歌だが、北原白秋に「雨」がある。遊びに行きたくても、傘はないし下駄の鼻緒も切れている。仕方がないので、家でひとり遊びの女の子。「♪雨が降ります 雨が降る/お人形寝かせど まだやまぬ/おせんこ花火も みなたいた」。上掲の一茶の句には、まぎれもなく白秋の抒情につながる近代的な感覚がある。孤独を噛みしめて生きた人ならではの、時代から一歩抜きん出た抒情性が、この句には滲み出ている。『大歳時記・第二巻』(1989・集英社)所載。(清水哲男)




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