長期入院の高齢者の食住費を自己負担の方向へ。貧乏人は入院もできない世の中が来る。




20051129句(前日までの二句を含む)

November 29112005

 アカーキイ・アカーキエヴィチの外套が雪の上

                           中田 剛

語は「外套(がいとう)」とも「雪」ともとれるが、メインとしての「外套」に分類しておく。さて、ついに出ました「アカーキイ・アカーキエヴィチ」。数日前にも触れたゴーゴリの小説「外套」の主人公だ。したがって、この作品を読んでいないと句意はわからないことになる。アカーキイ・アカーキエヴィチ。この特長のある名前は、私の若かったころには多くの人にお馴染みだったけれど、現在ではどうだろうか。19世紀のロシア小説などは、もう若い人は読まないような気がする。ストーリーはいたって単純で、うだつの上がらぬ小官吏であるアカーキイ・アカーキエヴィチが、一大決心のもとに外套を新調する。やっとの思いで作った外套だったのに、追いはぎにあって盗られてしまう。被害届を出したり、その筋のツテを頼って必死に取り戻そうとするが上手く行かず、そうこうするうちに悲嘆が嵩じて死んでしまうといったような物語だ。小説はもう少しつづくのだが、読み終えた読者が気になるのは、ついに見つからなかった彼の外套が、ではいったい何処にあるのかということである。おそらく句の作者もずっと気にしていて、とりあえずの結論を詠んでみたというところだろう。長年探していた外套が、なあんだ、ほらそこの「雪の上」にそのままであるじゃないか、と。そう言いきってみて、作者は少し安堵し、私のような読者もちょっぴりホッとする。厳寒のペテルブルグと往時の社会環境が、ひとりのしがない男を不幸に追いやっていく「外套」が日本人にも共感を生んだのは、やはり多くの人が理不尽にも貧しかったせいだろう。誰もそんな時代を望まないけれど、なんだかまた、そんな時代が新しい形でやってきそうな兆しは十分にある。「俳句」(2005年12月号)所載。(清水哲男)




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