新しい「高齢者医療費制度」は矛盾だらけ。矛盾してないのは絞れるだけ搾り取る根性。




20051120句(前日までの二句を含む)

November 20112005

 冬すでに路標にまがふ墓一基

                           中村草田男

後、一瞬の戸惑いを覚える。だが、この戸惑いこそが掲句の命だろう。戸惑うのは、「冬すでに」とあるけれど、「何が『冬すでに』どうなったのか、どうなっているのか」については何も書かれてないからだ。で、いきなり「路標とまがふ墓一基」と「冬すでに」を断ち切った光景が現れる。読者には、上五の「冬すでに」がどのように下七五にかかってゆくのかという頭があるから、「あれっ」と思うわけだ。そこでもう一度、句全体を見渡すことになる。すると、この「冬すでに」の未完結性が一種の余韻となって、句全体をつつんでいることがわかってくる。もっと言えば、漠然としていてもどかしいような「冬すでに」があるから、路傍に打ち捨てられた「墓一基」の姿がより鮮明になってくるのだ。「路標」は、たとえば「江戸まで十里」といったような道しるべのこと。よく見ないとそんな路標と「まがふ」(見まがう)ほどに、一つの小さな墓が打ち捨てられている。たぶん、墓を守るべき子孫や縁者も絶えてしまったにちがいない。しかし、この墓の下に眠っている人にも、むろん人生はあった。どんな人で,どんな生涯を送った人なのか。作者はしばし、墓の前にたたずんでいる。人の世の無常を感じている。現世の季節は「冬すでに」到来しており、どのような人であれ、その運命はいずれはこの墓と同じように、寒い季節に打ち捨てられさらされるのだと、作者は思わずにはいられなかったのだ。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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