昨日、東京で木枯し一号。風の強さに、楽しみにしていた三鷹市農業祭に行けなかった。




20051113句(前日までの二句を含む)

November 13112005

 枯園に向ひて硬きカラア嵌む

                           山口誓子

のところ、にわかに冬めいてきた。紅葉が進み、道に枯葉の転がる音がする。季語は「枯園(かれその)」で冬。草も木も枯れた庭や公園を言う。他の季節よりも淋しいが、冬独特のおもむきもある。作者は窓越しにそんな庭を見ながら、{カラア(collar)}を嵌(は)めている。さびさびとした庭に向かってカラーを嵌めていると、首筋に触れるときの冷たさが既に感じられ、それだけで心持ちがしゃきっとするのである。冬の朝の外出は嫌なものだけれど、カラーにはそんな気持ちを振り払わせる魔力がある。というよりも、カラーを嵌めることで、とにかく出かけねばならぬと心が決まるのだ。その意味では、サラリーマンのネクタイと同じだろう。今日この句を読むまでは、カラーのことなどすっかり忘れていた。小学生から大学のはじめまで、ずうっと学生服で通していたにもかかわらず、である。思い出してみると、とにかく句にあるように「硬い」し、それこそ冬には冷たかった。だが不思議なことに、あんな首かせを何故つけるのかという理由は、まったく知らないでいた。一種のお洒落用なのかな(「ハイカラ」なんて言葉もあることだし……)と思ったことはあり、それも一理あるらしいのだが、なによりもまず襟の汚れを防ぐためのものだと知ったのは、カラーに縁が無くなってからのことだった。最近では、ライトにあたると光るカラーが開発されたらしい。真っ黒な学生服で夜道を歩くとドライバーからはよく見えないので、交通安全用というわけだ。なるほどねえ。カラーも、それなりに進化してるんだ。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます