武蔵野市長選、今日投開票。以前の職場「むさしのエフエム」の今後にも影響大だろう。




20051009句(前日までの二句を含む)

October 09102005

 つゆ草の節ぶし強し変声期

                           泉原みつゑ

語は「つゆ草(露草)」で秋。とはいっても、もう花期は過ぎていると思う。近所に見かけないので、よくわからない。私の子供の頃の記憶では、まだ暑い盛りにまことに可憐な青みがかった花を咲かせたものだ。徳富蘆花は「花ではない、あれは色に出た露の精である」と書いた。そんなか弱げな露の精の茎の「節ぶし」が、実は強いということを、この句に出会うまでは知らなかった。コスモスがそうであるように、ちょっと手折るというわけにはいかないのだろう。花も見かけによらぬものだ。で、作者はそうした露草の特性を「変声期」の少年に重ねてみせている。見事な飛躍だ。中学校あたりを歩いていると、まだ稚ない顔をした少年たちが、おっさんのような声を発していて驚くことがある。そこで作者は、彼らの節ぶしの強さが、まずは外見に似合わぬ声に現われていると詠んだのだ。多くの露草の句が花に着目して、そのはかなさを押し出しているなかで、花と茎全体をとらまえているところがユニークであり、句も成功している。変声期かあ……。むろん私にもあったのだけれど、さほど意識した覚えはない。必然的な生理現象だから、身体がびっくりしなかったせいだろうか。子供のときの声はいささか甲高かったので、変声期があったおかげで助かったとは思っている。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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