国勢調査調査票。マークシートに慣れていないので、塗りつぶしがけっこう大変でした。




20051003句(前日までの二句を含む)

October 03102005

 鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり

                           飯田龍太

語は「鰯雲」で秋。よく晴れた昼時の「畑」で、一仕事を終えた家族が昼食をとっている。通りがかった作者が見るともなく見やると、その昼「餉」の輪のなかに「馬鹿」もいて、一人前に何か食べていた。「馬鹿」と括弧がつけられているのは、作者が一方的主観的に馬鹿と思っているのではなく、「馬鹿」と言えば近在で知らぬ者はない通称のようなものだからだろう。知恵おくれの人なのかもしれないが、大人なのか子供なのかも句からは判然としない。いずれにしても畑仕事などできない人で、家に残しておくのも心配だから連れてきているのだ。その人が「餉」のときだけはみんなと同じように一丁前に振る舞っているところに、作者は一種の哀しみを感じている。空にはきれいな「鰯雲」が筋を引き、地には収穫物が広がっていて、同じ天地の間に同じ人間として生まれながら、しかし人間の条件の違いとは何と非情なものなのか。掲句の哀感を押し進めていけば、こういう心持ちに行き着くはずだ。が、それをあえて深刻にしすぎないようにと、作者はスケッチ段階で句を止めている。だから逆に、それだけ読者の心の中で尾を引く句だとも言えるだろう。ところで「馬鹿」ではないけれど、かつて深沢七郎が田舎に引っ込んだときには、近所の人から「作文の先生」と呼ばれていた。昔の田舎では、あまり戸籍上の苗字で人を呼んだりはしなかったものだ。掲句の作者にも、きっと往時には通称があったに違いない。どんな呼ばれ方だったのか、ちょっと興味がある。『定本・百戸の谿』(1976)所収。(清水哲男)




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