戦争には金を突っ込むが、天災対策には舌も出したくない。米国のことだけじゃないよ。




20050924句(前日までの二句を含む)

September 2492005

 秋空がまだ濡れてゐる水彩画

                           鈴木鷹夫

語は「秋空」、「秋の空」に分類。近所の井の頭公園を歩いていると、冬の特別に寒い日は別にして、たいてい何人かの人がイーゼルを立てて絵を描いている。そしてたいてい、通りかかった誰かが描かれていく様子を立ち止まって見つめている。私もまたときどき、その誰かのうちの一人になる。掲句の作者も立ち止まって見ているうちに、この句を得た。ちょうど空を塗り終えたところなのだろう。まだ、空の部分が濡れている。「水彩画」なので濡れていて当たり前なのだが、その当たり前を掲句は、現実の「秋空」に投影するかのように捉まえているところが非凡だ。写生画は現実の様子を写すわけだが、作者はその写された画を見て,もう一度それを実際の空に写し返している。そうすると、まるで現実の秋の空が「まだ濡れてゐる」ように思われるのだ。面白いもので、私ももちろんだが、絵を描く人の後ろで見ている人の視線は、その絵と絵の対象との間を行ったり来たりするものだ。つまり、その絵がどれほど実際の形や色彩に近いか、現実そっくりに写しているかを確かめようとするのである。描き手にとっては余計なお世話なのだけれど、掲句はそうした見物人の素朴な好奇心による心理をよく踏まえて作句されている。この句は「俳句研究」(2005年10月号・「自作の周辺」)で知ったのだが、添えられた作者の文章によると、発表後に類句が頻出しているらしい。真似か、偶然か。それは知らねども、多くの人が深く同感できる一句であるのは間違いないところだ。(清水哲男)




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