今頃になって「阪神タイガース公式サイト」の掲示板に会員登録した。何を書こうかな。




20050923句(前日までの二句を含む)

September 2392005

 機関車の底まで月明か 馬盥

                           赤尾兜子

語は「月」で秋。「馬盥(うまだらい)」は、馬を洗うため井戸端に設けられた石造りの盥。大きくて浅いものだそうだが、私は見たことはない。「明か」は「あきらか」と読む。難しい句だ。そう感じるのは、常識では「機関車の底まで」と「月明か」がつながらないからである。機関車の底まで月の光が射し込んでいるのかな。まさか、そんな馬鹿な……。と、初読のとき以来私は解釈を放棄したままでいたのである。ところが、実は作者は「そんな馬鹿な」イメージで作句していたことが、つい最近になってわかった。近着の俳誌「豈」(41号・2005年9月)に出ていた堀本吟の文章に、兜子の自解が引用されていたからだ。こう書いてある。「私は俳句の場を途方もなく広漠たるところに設定することがある。光を通さぬはずの機関車の底まで月光は届くのではないかと思われるのである。微塵の隙間からでも光は入るのだ」。つまり、あまりに鮮やかな月光なので、それが機関車をも貫いているように見えるというわけである。煌々たる月明を浴びた機関車が、その巨体の底までをぼおっと光らせて停車しているのだ。その美しい機関車の傍には、かつて機関車に役割を取って代わられた馬たちのための盥がひっそりと、これまた月明に冷たく輝いている。なんと幻想的であり、哀感十分な光景だろう。しかしながら、このような解釈は自解を知ってはじめて成立したものである。素読でここまでイメージを引っ張り出す力は、私にはない。そのことを思うと、すっきりしたようでそうでもないようで……。『歳華集』(1975)所収。(清水哲男)




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