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September 1592005

 怨み顔とはこのことか鯊の貌

                           能村登四郎

語は「鯊(はぜ)」で秋。昨日のつづきみたいになるが、しかし作者は、むろん審美的に魚を見ているのではない。鯊は頭と口が大きく、目が上のほうについているので、なんとなく人間の顔に似て見える。それも決して明るい表情ではなく、句のように、見れば見るほど暗い顔に見える。たぶん作者は誰かに「(あの表情は)怨み顔」なのだと教えられ、なるほど「このことか」と、あらためてまじまじと見つめているのだ。では、なぜ鯊が「怨み顔」をしているのか。その答えを書いた詩に、安西均の「東京湾の小さな話」(詩集『お辞儀するひと』所収)がある。「いちばん釣れるのはお彼岸ごろだから、/まだちょっと早いさうだが、/鯊釣りに誘はれた。すっかり/凪いで晴れた東京湾では、」ではじまるこの詩は、同行の青年のお祖母さんから聞いた話で締めくくられていく。「だってねえ、あたしゃ嫁に来た年の/大震災をようく覚えてますよ。/ええ、陸軍記念日の大空襲でも、/命からがら逃げまはって、/どっちも何万といふ人が大川で、/焼け死に、溺れ死にしましてね。/あなた、東京湾の鯊。あれは、/何食って育ったと思ひます」。このお祖母さんの話を受け、詩人は次の一行を加えて詩を閉じている。「生涯、鯊を食はないひともゐるのだ」。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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