アメリカ流に慣れているせいか、スコットランド・ヤードの捜査にユニークさを感じる。




20050731句(前日までの二句を含む)

July 3172005

 力無きあくび連発日の盛り

                           高浜虚子

語は「日の盛り(日盛)」で、もちろん夏。さて、本日で虚子三連発。句のあまりのくだらなさに、当方も「あくび連発」。作者もまた、良い句などとは露思っていなかったろう。思っていないのに、何故こういう句を作って人前に出す気持ちになったのだろうか。駄句として一蹴してしまうのは容易いし、私もそうしかけたのだが、しかし名句よりも駄句のほうに、その人の本質がよく見えるということはあるだろう。掲句に限らず、初心者でも作らないような駄目な句を、虚子はあちこちで平気で詠んでいる。これは、はじめから意図的なのですね。確信犯です。子規亡き後、碧梧桐の「新傾向」でなければ夜も日も明けなかった俳壇のなかにあって、虚子が碧梧桐を批判した有名な文章がある。その一節に、曰く。「尚碧梧桐の句にも乏しいやうに思はれて渇望に堪へない句は、単純なる事棒の如き句、重々しき事石の如き句、無味なる事水の如き句、ボーツとした句、ヌーツとした句、ふぬけた句、まぬけた句等」。このときに、虚子はまだ二十代。碧梧桐の才気を認めないわけではなかったが、それだけでは駄目だと言い放っている。人間、才気だけで生きているわけじゃない。誰にだって、ヌーボーとした側面はあるのだから、そのあたりを捉えることなしにすますようなことでは、何のための表現なのかわからない。掲句は晩年の作だが、若き日の初心を貫いているという意味では、珍重に値する一句と言ってもよいのではなかろうか。『虚子五句集・下』(1996・岩波文庫)所載。(清水哲男)




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