July 09 2005
遠雷や別れを急くにあらねども
吉岡桂六
季語は「遠雷」で夏、「雷」に分類。喫茶店だろうか。いつしか熱心に話し込んでいるうちに、ふと遠くで雷が鳴っているのに気がついた。表を見ると、それまでは晴れていた空がすっかり暗くなっている。降り出すのも、時間の問題だ。まさか降るとは思わないので、相手も自分も傘を持ってきていない。それからは、お互いに気もそぞろ。話はまだ途中なのだが、遠雷のせいで、心持ちはだんだん中腰になっていく。といって時間はまだ早く、べつに「別れを急(せ)く」必要はないのだけれど、ずぶぬれになるかもしれぬイメージが先行して、なんとなく落ち着かないのだ。よほど親しい間柄なら、止むまでここでねばろうかと腹をくくるところだが、そういう相手でもないのだろう。それに、相手にはこの後の予定があるかもしれない。などと口には出さないが、お互いにお互いの不確かな事情を思いやって、こういうときには結局、どちらからともなくぐずぐずと立ち上がってしまうものだ。話が面白かっただけに、別れた後にしばし残念な気持ちが残る。で、これで夕立が来なかったとなればなおさらに後を引く。誰にでも、そんな経験の一度や二度はあるだろう。そうした日常の地味な人情の機微を、さりげない手つきで巧みに捉えた佳句だ。俳句でないと、この味は出ない。『東歌』(2005)所収。(清水哲男)
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