July 08 2005
明易や書架にむかしのでかめろん
伊藤白潮
季語は「明易(あけやす)し」で夏、「短夜(みじかよ)」に分類。最近では午前4時を過ぎると、もう明るくなってくる。早起きの私などには好都合だが、もう少し遅くまで寝る習慣の人が、そんな時間に目覚めてしまうと、いつもの朝には見えなかったものが見えたりするものだろう。作者の場合も、おそらくそうである。目覚めたものの、まだ起き上がるのには早すぎる。かといって、もう一度寝直すというほどの時間でもない。どうしようかと思いながら、なんとなく部屋の隅の「書架」を眺めているうちに、昔買い求めた『でかめろん』の背表紙が目に入った。有名なボッカチオの『デカメロン』の翻訳書で、若い頃に読んだきりのまま、そこにそうして長い間さしてあったのだ。だから本当はいつでも目にしているわけだが、あまりにも長い年月にわたって同じ場所にあり取り出すこともなかった本は、もはや書籍というよりも書架の一部と化しているので、普段は意識することもない。それがたまたまの早朝の目覚めで、薄明かりの中に書籍としての存在感をもって出現したのである。当然に、読みふけった頃のあれこれがぼんやりと思い出され、「むかしのでかめろん」という柔らかな平仮名表記は、その思い出が多感な青春期の甘酸っぱさに傾いていることを暗に告げている。私も思わずもそうしたが、この句を読んで、あらためて自分の書架を眺めてみる人は多いだろう。誰にでもそれぞれに、それぞれの『でかめろん』があるはずである。『ちろりに過ぐる』(2004)所収。(清水哲男)
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