June 13 2005
出来たての夏雲かじる麒麟かな
津田ひびき
よく晴れた日の動物園だ。長い首を伸ばして、麒麟(きりん)が「出来たての夏の雲」をかじっている。「出来たての」、つまりいちばんふわふわとして美味しそうな雲を食べているのだ。真っ青な空に黄色い麒麟が印象的で、そういうことも含めて、ちょっと谷内六郎の一連の絵を想わせる。掲句も谷内の絵も、いわば童心で描いた世界として微笑する読者は多いだろう。ところで私はへそ曲がりのせいか、一口に童心の所産とまとめて、そこで終わってしまうことには違和感がある。当たり前のことながら、これらは子供の表現ではなく、れっきとした大人の発想による世界だからだ。大人である作者が、わざわざ子供の心をくぐらせて得た世界である。だから、谷内の絵がどこか哀調を帯びているのに似て、掲句もまた単純におおらかであるとは言い切れない。この麒麟、想像すればするほどに、悲しげな目をしているような感じがしてくる。このときに出来たての夏雲は、遠いふるさとの大空の雲なのではあるまいか。その雲にいま懸命に舌を伸ばしているのかと思えば、切なくなってくる。作者が故意に童心をくぐらせたのは、情景に無垢なまなざしを仮設することで、見えてくる真実を確かめたかったのだと思う。子供には絶対に見えるはずのない真実が、かつて子供であった者には童心のフィルターを通して見えてくるという皮肉な回路は、やはり切ないなと言うしかない。『玩具箱』(2005)所収。(清水哲男)
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