June 10松の芯中野竹子の叱咤なお的野 雄季語は「松の芯」。松の新芽、あるいは若葉のことも言う。春季の「若緑」の項に分類しておくが、掲句に詠まれた舞台などを考え合わせると、むしろ入梅前のいまごろの季節と見たほうがよさそうだ。「中野竹子」は戊辰戦争時、女性たちによる薙刀部隊を率いて新政府軍と闘った人物である。「会津藩士中野平内を父に生まれた。資性鋭敏、容姿端麗、才智は衆にすぐれ文武両道に通じ、詩文和歌などの文才もあり、度々藩の賞美をうえ典型的な会津女子としての義に徹し、その反面、ものやわらかな豊麗があふれていたといわれる。明治元年八月戊辰戦争では、柳橋の戦いに挑み、男子も及ばぬ奮戦をしたが、虚しく西軍の凶弾に倒れた。その首級は翌朝、農兵により坂下に持ち帰られ、後に坂下町曹洞宗法界寺に埋葬された」(「うつくしま電子辞典」による)。このとき竹子、二十二歳。若き非業の最期であった。作者は「松の芯」の時期に彼の地を訪れた。すくすくと抜きん出た若緑の様子に、竹子のさもあったろうという勇姿を重ねあわせて、「叱咤なお」と彼女の激しい忠誠心を讃え追悼している。星霜移り人は去るといえども、竹子の心映えは松の緑のように蘇りつづけるだろうということだ。「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」。辞世の歌と言われている。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)
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